2nd
昨日今日と、TVをつけっぱなしにしていると、市橋容疑者の話題が続いていて、これを書いている段階では、彼は事件については何も語っておらず、反省の言葉も口にしていないらしい。別に聞きたくないとまでは言わないけれど、どうやって殺したかとかどんなふうに反省しているかなんて誰が言ってもたいしてかわりばえしないはずで、それよりも彼は彼にしかできない逃亡体験をしているのだから、その話が聞きたい。
警察も、取調べのプロなわけだからいろいろな手法を駆使するんだろうが、たぶん本質的には、事件の核心に迫るための言葉づかいをすると思われる。TVで聞けるコメントの貧しさについては、いまさら言うまでもない。同じような経験を持った元犯罪者がコメントしたり取調べをしたりすれば、犯罪をめぐる言葉はもっともっと豊かになることだろう。そしてそれは超長期的には犯罪の減少につながるのかもしれないが、とりあえずそれはどうでもよい。
そういう気の長い事業は、警察やマスコミではなくて小説や映画がやるべき仕事で、そこで気になることがひとつ。いまある犯罪(関係の)映画は、実際の犯罪者たち(元、の人たちも含めて)を納得させることができているだろうか? 黒木和雄の「スリ」には、スリの技術指導のひとが参加しているとクレジットにあったが元スリなのか現役なのか警察関係者なのか、そのひとの素性は調べてないので分からない。
逃げ続けていたからにはつかまりたくなかったのであろう市橋容疑者は、つかまったことで、理不尽な仕打ちを受けた気がしただろうな。死んだひとは一度死んだら基本的には戻ってこないので、なにかから生き残った人間はなんでもいいので話をしてほしい。
逃走資金は両親から提供されていたのだろうか。だとしても驚かない、むしろ当然だと考える。この場合の「当然」とは、法律的/道徳的/倫理的な価値判断を含まない表現であって、たとえば戦争で勝ったほうが領土をぶんどるのは当然だ、という程度には当然ということ。もし市橋容疑者が両親と連絡をとっていたとして、まず息子に自首を勧めて従わなかったとしたら、そして息子が金に困っていたとしたら、やはり金を送ってやるもんなんじゃないか。
犯罪者はなにも肌の色や血液型が変わったりするわけじゃなくて一度以上罪を犯した人間というほどの意味しかない。夜になれば眠るだろうし三度三度の飯を食うためには仕事もしなくてはならない。そのことを過大評価する必要はもちろんないにせよ、犯罪者が24時間目を血走らせて犯罪のことばかり考えていると思ったら大間違いであって、たぶん犯罪者が犯罪のことを考えている時間は、ハードコアな映画ファンが映画のことを考えている時間よりもはるかに短いはずだ。