首吊り芸人は語らない。 RSS

Archive

Dec
2nd
Wed
permalink
小さいころ、食パンというのは食パンの耳のことで、白くてふわふわのところはパンと言うのだと思っていました。
permalink
キケローの友情についてを読んでむかつかない奴とは友達になれないんだよ!と絶叫することはキケローの友情についてを読んでむかつかない人と友達になるための一つの手段であることをどうして万人が理解しないのかまったく私には理解できない
Nov
19th
Thu
permalink
昼食に食パンを食べていることも笑われた。お弁当をつくる時間がなかったのでテーブルに置いてあった食パンを袋ごと掴んで学校に来た日だった。食パンはなにもつけないのがいちばんおいしいのにみんな可哀想にって顔をする。みんな食パンに味がないと思ってる。食パンを抱きしめてあげたい。おいしい。
Nov
15th
Sun
permalink
人間の身体はやっぱり白黒で観るのがいちばん美しい。(電気を消さずにセックスをする人間には一切の感受性が欠如している。)
permalink

これを読んで、「えっ何なに」と早速ググってしまった人間味溢れるあなた、愛しています。

そして、負けです。

なんでかって?私がいま決めたのさ。

Nov
13th
Fri
permalink

昨日今日と、TVをつけっぱなしにしていると、市橋容疑者の話題が続いていて、これを書いている段階では、彼は事件については何も語っておらず、反省の言葉も口にしていないらしい。別に聞きたくないとまでは言わないけれど、どうやって殺したかとかどんなふうに反省しているかなんて誰が言ってもたいしてかわりばえしないはずで、それよりも彼は彼にしかできない逃亡体験をしているのだから、その話が聞きたい。

警察も、取調べのプロなわけだからいろいろな手法を駆使するんだろうが、たぶん本質的には、事件の核心に迫るための言葉づかいをすると思われる。TVで聞けるコメントの貧しさについては、いまさら言うまでもない。同じような経験を持った元犯罪者がコメントしたり取調べをしたりすれば、犯罪をめぐる言葉はもっともっと豊かになることだろう。そしてそれは超長期的には犯罪の減少につながるのかもしれないが、とりあえずそれはどうでもよい。

そういう気の長い事業は、警察やマスコミではなくて小説や映画がやるべき仕事で、そこで気になることがひとつ。いまある犯罪(関係の)映画は、実際の犯罪者たち(元、の人たちも含めて)を納得させることができているだろうか? 黒木和雄の「スリ」には、スリの技術指導のひとが参加しているとクレジットにあったが元スリなのか現役なのか警察関係者なのか、そのひとの素性は調べてないので分からない。

逃げ続けていたからにはつかまりたくなかったのであろう市橋容疑者は、つかまったことで、理不尽な仕打ちを受けた気がしただろうな。死んだひとは一度死んだら基本的には戻ってこないので、なにかから生き残った人間はなんでもいいので話をしてほしい。

逃走資金は両親から提供されていたのだろうか。だとしても驚かない、むしろ当然だと考える。この場合の「当然」とは、法律的/道徳的/倫理的な価値判断を含まない表現であって、たとえば戦争で勝ったほうが領土をぶんどるのは当然だ、という程度には当然ということ。もし市橋容疑者が両親と連絡をとっていたとして、まず息子に自首を勧めて従わなかったとしたら、そして息子が金に困っていたとしたら、やはり金を送ってやるもんなんじゃないか。

犯罪者はなにも肌の色や血液型が変わったりするわけじゃなくて一度以上罪を犯した人間というほどの意味しかない。夜になれば眠るだろうし三度三度の飯を食うためには仕事もしなくてはならない。そのことを過大評価する必要はもちろんないにせよ、犯罪者が24時間目を血走らせて犯罪のことばかり考えていると思ったら大間違いであって、たぶん犯罪者が犯罪のことを考えている時間は、ハードコアな映画ファンが映画のことを考えている時間よりもはるかに短いはずだ。

Nov
11th
Wed
permalink
シンナーくさい通学路に、かぎりなくマルチーズに近い毛玉をつれて歩いているお婆さんがいた。その辺りの家の塀にはコケがびっしり生えていたんだけど、それを見たお婆さんは目を輝かせて、瞬間もうそれをごそっとむしり取ってた。わたし湿ったコケをひだりてに携えうっとりする老婆でどうしてか謎の感動につつまれたんだけど、右手につながれた毛玉をよくみると、なんかふつうに排尿してた。塀にこびりついたコケに。やっぱりあれいきものだったかもしれない。
Nov
10th
Tue
permalink
あたしずっと「定型文以外のことを喋ってくださいあなたの思考をあなたの意見をあなたがいったい今どういう風に感じているかを」と思っていたけれど彼女や彼女や彼女が実際に定型通りのことをそのように感じてそのように述べているのであればあたしのその言葉は無為だ。あたし今更なにを言っているのだろう今更偉そうになにを述べているのだろう定型というものは多くの人が「そのように感じたから」その形が定型として定まったのであって、もちろんその定型を定めてさらしてこっち来いよと誘導して定型を強化するということもあったろうけれどそれもやはりその定型の基礎に大衆性という力がないと不可能なことであたしはどうしてそれを鑑みることができないのか。大衆的だから優れていないなんてそれはただのバカの云うことだ。その言葉が間違っていないか、偏見で塗り固められていないか、議論の余地がないか、その検討をすることがその定型に弾き飛ばされた側の人間がすべきことであって定型を塗り潰して殺すことじゃないじゃないあたしのするべきことは。
Nov
9th
Mon
permalink
砂漠に雪を降らせることはできないかもしれない。砂漠は砂漠でしかなく、茫漠とした孤独があるだけかもしれない。それでも私はその砂漠を愛しているし、砂漠に立つ。砂漠に降る雪を夢見ながら、砂の写真を撮り、雪について百年書き続けようと思う。遠く同じ月を見ている人を想いながら。
Nov
6th
Fri
permalink
盗め、盗め、盗め!僕は心の中で連呼した。廃棄を、持って帰れ!その様子が見れたら、どんなに痛快だろうか。もしも彼女が、廃棄をこっそり鞄の中に入れて持ち帰ったら、僕はあらゆる物事を信じず、口元に冷笑を浮かべ、来週、彼女が盗んで帰った商品をわざわざ買いに来てやろう、と思った。