首吊り芸人は語らない。 RSS

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文学を必要とするにんげんはたいてい駄目な人だと思うし、文学は崇高なものでは別にないし、文学を必要とせずにぱかすか生きてゆくにんげんたちはとても強くて立派だと思うけれど、それでも私は文学を必要としないにんげんになりたくないのだった。なれないのじゃなく、なりたくないのだった。日記を書かないことによってあたしはちょっと離脱しかけた。そのように思う。それはたぶん適合であって、強くなるための過程であって、正常を手に入れるための手段だった。そしてそれはとてもこわいことだ。それはとてもとてもこわいことだ。あたしは駄目でいいし、屑でよかった。単純に、ここが好きだった。否定とか肯定とか正常とか異常の話はなにもしたくなかった。文学を特別視するひとが嫌いだった。文学を愛していることを選民的な意識のもとに、選民的な意識のもとに文学を愛している自分を愛していると定義されることがだいきらいだった。おまえが定義するあたしの自意識はおまえの自意識だよと叫び返してやりたかった。文学を必要とするにんげんはたいてい駄目な人だと覆うし、文学は崇高なものでは別になくて、だから私はただのその辺の普通のひとに過ぎなくて、それを大切にしたいだけだった。いたい場所にいたいだけだった。
そして本当にいたいばしょにいることは実は、誰に認められなくても実は、簡単にできることなのだった。
ただいま世界。おかえり世界。