首吊り芸人は語らない。 RSS

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Jan
13th
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ロメールが亡くなったのは、ぼくにとって大きいことだ。ロメールとリヴェットとゴダールは死なないものだと思っていた。少なくともぼくが生きている間は。勿論、そんなことはあり得ないことは知っているのだが、それでも無意識の領域でそう信じていることが、ほくにとっての世界の安定を支えているというところがある。15歳くらいではじめてゴダールを観て以来、ヌーヴェルヴァーグというのは、ぼくにとって世界と触れる時の一つの基準としてずっと作用している。それは、個々の作品が面白いとか面白くないとかということを越えて、そうなのだ。実際、最近のロメールの映画などろくに観てはいないのだし、リヴェットやゴダールの新作に特別に心が躍るということもなくなっている。それでも、彼らがこの世界のどこかで生きていて、映画を観たり、つくったりしていること、それによって世界の底が支えられている、という感覚がぼくにはどうしてもあるのだ。その一角が崩れた。